No.3 松浦 悟志

Q1.基本情報を教えてください!
氏名:松浦悟志
出身大学:九州大学
出場した駅伝の回数・区間(第○回〇区、第〇回〇区)など:
第39回男子4区選手輸送、第40回男子1区選手輸送、第41回大会本部、第42回大会本部(特設サイト担当)
現在の所属チーム名:無所属 静岡陸協

Q2.運営していた当時の思い出はありますか?
第39回は電波が届かない区間、第40回はスタートで超早朝、第41回は夜通し事務所に篭り大会前日と数日前に2回鼻血を吹き出し、第42回は卒論書きながら特設サイト頑張っていました。思い出深いのは第41回と第42回です。夜中にとことん作業して、大会が近づくにつれてサイトや準備も充実し、優勝予想もわからなくなり、日に日に大会が楽しみになっていったのを覚えています。
第41回は何かとバタバタした大会だったかと思いますが、あの大会はあの大会で楽しかったです。当時駅伝の担当をしていた相方と、福岡を出発する前日にくら寿司に行って決起会をしたのが思い出です。他はもう、色々ハプニングだらけであまり覚えてないです。笑
第42回は純粋に島原駅伝を楽しんだ大会でした。特設サイトのアクセス数が大会後もじわじわと伸びて、最終的に10000アクセスまでいけたのが思い出です。その中で、九州長距離王国さんや九州の大学を応援しているアカウントの方々ともコミュニケーションをとり、自分の中でも島原駅伝が一層思い入れ深い大会になっていきました。

Q3.あなたにとっての島原駅伝を一言で表すと?
「九州の大学生の底力」
〈理由〉
:運営はもちろん島原市、長崎陸協からの多大なるご支援をいただき行われるものですが、打ち合わせから特設サイト運営、当日の選手輸送のスケジュールなど、九州学生陸上競技連盟に所属する大学生が交通費を除き無償で行っています。僕もそうですが、卒論をしながら、他のバイトをしながら、大学の勉強をしながら、自分の競技をしながら、7月に始まる打ち合わせから約5ヶ月間、島原駅伝のことを考えて運営にあたっています。ただこれは運営側だけが苦労を分かっていればいい話。こちらが盛り上がって一生懸命やるだけでは、島原駅伝は良い大会とは言えません。九州の各地の大学がこの大会での優勝を目指し、出雲路を目指しています。毎年のことですが、優勝候補は1大学ではありませんし、番狂わせも多発します。果てしなく急なあの坂道、下ったと思ったらまた登る区間、島原市の大通りから目指す島原城、各大学各区間の選手一人一人が魂を削って、力強く、島原市を走ります。そこに向けられる本気は、島原駅伝だからこそ見られる大学生の底力だと、そう思うからです。

Q4.一番大変だったこと
第41回大会の際、運営に携わる重要なメンバーが、大会当日に来られなくなってしまったことです。今思い返せば笑い話ですが、当時はひどく焦りました。これ以上は言わなくて良いことを言ってしまいそうなので、伏せます。その次に大変だったのは、じわじわと大変だったことですが、昨年の特設サイトを作る際、大学と卒論とボランティア活動とバイトを同時並行させていたことです。やると決まったら凝ってしまう人間なので、楽しみながらやっていましたが今思うと多分大変でした。

Q5.島原駅伝の運営でトラブルやハプニングはありましたか?
Q4の1個目がまさにそれですね。あと別のもので言うと、第40回大会の際、ゴールテープがスタート地点にあるままで男子のゴールギリギリにゴールテープがなんとか島原文化会館に到着する、というもう一つの島原駅伝がありました。あと、バスが少ないとか、なんかあった気がしますが、トラブルとハプニングが0の大会は基本ないので…。笑

Q6.駅伝の際の面白いエピソードがあれば教えてください!
学連の内輪ネタなのですが、毎年大会運営の主幹は3年生が担っており、島原駅伝が3年生の主幹最後の大会になります。「今までお疲れ様でした」ということで、下級生からケーキの贈呈があるのですが、自分が経験した4回中2回、ケーキが荒い運転でぐちゃぐちゃになっていたことです。3年生に渡すものなのだから安全運転をお願いしたいものです。あとは、宿泊地でのワイワイも当然好きです。変なエピソードばかりなので伏せます。

Q7.島原駅伝の思い出の一枚はありますか?
ありすぎて選べないですが、これですね。今も大会には少しだけ関わらせてもらっていますが、志學館大学の初優勝となった第42回島原駅伝は、僕の学連人生最高の大会でした。そんな大会の終わりに撮った集合写真です。
Q8.選手の皆さんへメッセ―ジをお願いします!
今年も現地で応援します。どのチームも応援してます。各々にとって、次に繋がる、自信になる、絆の深まる、最高の大会にしてください。

